知らないこと
「あゆ、共謀罪についてどう思う?」
僕は、食べていたラーメンをすする手を止めて考えた。沈思黙考というやつだ。
「よくわかんないんだよね、共謀罪についてww」
結局僕は、そう答えた。
これが本音だった。話題はそこで変わった。
もし、僕が持論を展開できたなら、
話はもっと弾んだだろうし、楽しかったに違いない。
僕が何にも知らないせいで、相手にとっても自分にとっても学びの機会が失われたことになんとなく「ダサいな、僕」と後ろめたさを抱いた。
知らないって罪だなって思った。
いや、知らないことに気がつかないことがダサいというか。
共謀罪だって、カタールの国交問題だってニュースで大きく取り上げられてた。
見ないフリをしていたのかもしれない。
ネットでも
とか、情報は手に入るわけだから、
知りえないことなんてないはずなんだ。
知らないってダサい・・。
無限の興味と無限のアンテナ、無限の知識が欲しいなと思った。
情報は食べ物なんだってさ。
アメ玉
6月が始まった。
教員資格を目指す友人は、就職活動もそこそこに教育実習に精を出している。
ましてや僕の周りの教員資格志望者は、教育学科在籍者ではない。
夢や目標のためとはいえ、人より多く授業をとって、人より課題をこなし、休みを削り、今も人より多くスーツを着て汗をかいているわけだがら、6月に入って惰性が顔をのぞかせている僕の頭は、自ずと下がる。
とある 小学校のとあるクラスに中国人転校生が来たという。
先生は、異国の地からやって来た彼がクラスに馴染めるように最善の努力をした。
幸運にも、彼は人見知りをしなかったので友達も苦労せずに作ることができ、クラスに馴染めることができたそうだ。
だが、
彼はある日、授業中にアメ玉を食べながら先生の話を聞いていたらしい。
それを目撃した先生は、飴を食べながら人の話を聞く姿勢がけしからんということで、
叱り、アメ玉を回収したのだそうだ。
それを境に、その中国人転校生は授業の妨害を繰り返すようになったらしい。
先生は、
授業中にアメ玉を食べたらいけないような国なんて、日本か韓国くらいだということを知った。
日本人の感覚で考えると、授業中に物を食べることなんて悪でしかない。
しかし、それを世界の定規で測ると必ずしも正当な指導とはいえないと気づく。
それを境に当たり前を疑うように先生はなりました。
先日、大学の講義で先生はこの話を非常に満足げに話していた。
自分たちにとっての”当たり前”を疑ってほしいと学生に伝えたいという意図が感じられた。
だが、
それにしては題材が間違ってはいないだろうか。
私も、多様性を認め合う心は非常に大切だと思う。しかし、多様性を認める前に、地域ごとの文化を敬う気持ちも持つべきだと感じる。
郷に入っては郷に従え
ということわざがある。
その地域においては、その文化に従いなさい
そんな意味だ。
人の話を聞く時に物を食べない
ことは、日本古来からの文化だと思う。
そこまでこの文化に僕が固執するわけではないのだが、
多様性の中で日本らしさを少しは保ってもいいんじゃないかと僕は思う。例えば、、食のマナーに関してくらいは…
”多様性を認めなさい”
”当たり前を疑いなさい”
この言葉の真意はどこにあるのか、この言葉を当たり前にしてしまう前に咀嚼して考え直すべきだと教授の話から勝手に僕は学んだ1日になった。
高い学費の引き換えにはちょうどいいのかもしれない。
別れ
「サヨナラは、悲しい言葉じゃない」
僕の中で最も感動体験が大きかった合唱曲。
それは、中学生の卒業式で歌った
いきものがかりさんの「Yell」だ。
「それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL」
21歳になるまでは、あくまでメロディが好きで好んで聞いていたこの曲の、この言葉。
今、深くかみしめることができる
6月1日、僕らは引っ越す。
そんなに今の家から遠くはないが、東京都民ではなくなってしまう。
引越しはもちろん初めてだ。
だからだろうか、、
明日、今の家を空け払うのに、実感がない。
今の食卓で家族で飯を食い、今のお風呂で歌いながらシャワーを浴び、今のベッドで寝落ちすることは、2度とできなくなってしまう。
信じがたい。
僕の今住んでいる町は、本当に何もない町だった。自由が丘の隣、二子玉川までチャリで20分。立地はいい。ものすごくいい。
だけど、
僕の住む町の名前でピンとくるやつなんて、大学ではもはや0だった。
それでも好きだった。平和だった。静かだし。
誇りの町。
願わくば引っ越したくなんてない。
先日、
面接で「将来の夢はなんですか?」
ときかれて、
歴史に名を残したい
と答えてしまった。
「いいですね。」
相手は五文字で片付けたけど、僕は恥ずかしかった。
どうせなら、今の町の名前をいい意味で知らしめられるくらいにBIGになって帰ってきたい...
いつかまた巡り会うその時まで、、
さよなら
馳走
「ラーメン」
僕には、よくラーメンを賭けて争う友達がいる。
どっちが理科のテストでいい点を取れるか
どっちが先に昼休みのサッカーで点を決めるか
どっちが先に女の子と手を繋ぐか
どっちが先に童貞を捨てるか
世の中の男子の一般論は知らない。
けど、僕とそいつの間における賭け事なんていつだって中学生のままだった
勝っても負けてもそいつと食べるラーメンは同じ味がした。豚骨の、太麺の、チェーン店。
最低に平凡で変わらない、歴代のバイトさんたちが受け継いで来た僕らの馳走。
今、
僕は、21年間慣れ親しんだ、たった一つの故郷を旅立つ時期にいる。先日、父親がノミで表札を外した。
21年間、そこにあることが普通だった表札。
5分で取れた。
ポストの横の表札は、今はない。
この町を巣立ったら負け
そんなこと賭けるアイデアなんて浮かばないくらいに子供の僕らにはかけ離れていた。
子供のまんま大人になって、やっと気付いた。
それは、、平凡のありがたみ。
今日も蒸し暑い。
冷やし中華が食べたい。昼も夜も。
でも、
旅立つ前に一度くらいは、
あの不味いラーメンを食べておきたい。
くだらない、しょうもない小さな何かを賭けながら、あのご馳走を。
電話
ポケットに入っている携帯電話から、マリンバの音が鳴り響くと僕は身構える。
就職活動を通じて、電話への緊張感が芽生えたというのは、否定のしようがない事実だ。
耳の当て口の向こうから聞こえてくる会社の人の声はいつも定型的だ。
何百、何千という数にマニュアル通りの電話をしているはずだから仕方がない。
電話は、音でコミュニケーションするものだから、暖かい。メールやラインに比べて暖かい。
でも、そんな電話が僕には文字より冷たく感じることがあるのだ。
小さい頃、よく母から叱られた子供だったように思える。
部屋を片付けない、お手伝いしない…
理由はなんであれ、僕を育てたい母は叱ってくれた。非はいつも僕にあり、反論などできる余地はなかった。
母が語気を強め、声を荒げて叱る時に限って、我が家では不思議と電話がかかってくることが多かった。内容はPTAの連絡やらセールスやらいろいろだ。
「はい、もしもし」
そんな時、
母は別人の声を出す。善良で心から電話を歓迎する女の人の声。
…内心では真横にいるバカ息子にフツフツと怒りを溜め込んでいるであろうに。
そのギャップが幼心に怖かった。
電話先の相手が、
母は、本当は、怒りに身を震わせていて、
その感情を罪人である息子にぶつけたい意欲、
そして、
親としての正義感
これらに駆られている最中だということを知らないことが怖かった。
電話先の向こうは本当は何を考えているんだろう。そんなことを考えると僕にはメールの方が気楽に思えてしまう。
用件を伝える容易さでは電話は絶対的に有利なのだが…
電話は、怖い。
4207人
性格診断テストの話をする。
人がやっていないものに目をつけて、
自分が創始者であるかのように周囲にそのサービスを勧め、流行させることで優越感を感じる。
昔から僕はそんな子供だった。
今も子供だと思っている。
承認欲求の入り口がとてつもなく低く、単純なその様はきっと85歳のじい様になっても不変だろう。
105問強の設問に答えることで、性格を深掘りして人間性を抽出するサービスがおもしろいぞ!やってみ!
そんなことを吹聴して回ったのも、承認欲求が魂胆か。
自分だって別大学の後輩からレコメンドされただけの二番煎じ。それなのに友達に勧めたりして、カッコ悪い…
とはいえ、サービスは本当に面白い。
https://check.m-gram.jp/share/KjYgOwPOrsjKpznk-p8
質問は長いが、その分いつもより深い自分に出会える気になれるからおすすめだ。
さて、
これによると僕は、
「とても優しく協調性があるが落ち着きがない。」
結構いいやつではないか?ムードメーカーと自分を例えても強ち間違えでもなかろう。
他の人と見せ合いするときにも、自分が誇らしい。自分が嫌々ブログで綴っておきながら、そんな些細なことで自分を愛せる僕は幸せだと毎晩思う。
今回、性格診断テストの話を書くに当たって注視したいのは僕の性格の話ではない。
相性のいい人
の話だ。
この診断テストは、就職活動にも使えるらしいのだが、恋愛的マッチングにも使えるようだ。
あなたと内面だけを鑑みて相性の良い人と何人くらいの割合で出会えるかを分析してくれている。
僕のゼミの仲間では、
400人に1人、370人に1人など
学部内に最低1人は相性の良い仲間、恋人候補がいるという人が多かった。
僕はどうか
途方も無い数である。
分析はこうも人を傷つけるのか…
約4000人に1人?
地球上で見たらちっぽけな数4000人。
僕1人で見たら?
血の気が引く気配さえ感じてしまう、恐ろしい割合だ。
僕と相性の良い異性とは、どのような相手なのだろうか。
今回はそこへの考えを記すことは、控えておこう。また書きたくなる気がするからだ。
まあ、もし仮に
望む異性のタイプなんてものを書き記したりしたら、
「どのツラされて女子を選り好みしてるんだよ。お好み焼きのヘラみたいな顔しやがって」
と見えない誰かに貶されてしまうだろう。
”とても繊細”
な僕だから、遠慮も少しは覚えたい。
大人になりたい