アメ玉
6月が始まった。
教員資格を目指す友人は、就職活動もそこそこに教育実習に精を出している。
ましてや僕の周りの教員資格志望者は、教育学科在籍者ではない。
夢や目標のためとはいえ、人より多く授業をとって、人より課題をこなし、休みを削り、今も人より多くスーツを着て汗をかいているわけだがら、6月に入って惰性が顔をのぞかせている僕の頭は、自ずと下がる。
とある 小学校のとあるクラスに中国人転校生が来たという。
先生は、異国の地からやって来た彼がクラスに馴染めるように最善の努力をした。
幸運にも、彼は人見知りをしなかったので友達も苦労せずに作ることができ、クラスに馴染めることができたそうだ。
だが、
彼はある日、授業中にアメ玉を食べながら先生の話を聞いていたらしい。
それを目撃した先生は、飴を食べながら人の話を聞く姿勢がけしからんということで、
叱り、アメ玉を回収したのだそうだ。
それを境に、その中国人転校生は授業の妨害を繰り返すようになったらしい。
先生は、
授業中にアメ玉を食べたらいけないような国なんて、日本か韓国くらいだということを知った。
日本人の感覚で考えると、授業中に物を食べることなんて悪でしかない。
しかし、それを世界の定規で測ると必ずしも正当な指導とはいえないと気づく。
それを境に当たり前を疑うように先生はなりました。
先日、大学の講義で先生はこの話を非常に満足げに話していた。
自分たちにとっての”当たり前”を疑ってほしいと学生に伝えたいという意図が感じられた。
だが、
それにしては題材が間違ってはいないだろうか。
私も、多様性を認め合う心は非常に大切だと思う。しかし、多様性を認める前に、地域ごとの文化を敬う気持ちも持つべきだと感じる。
郷に入っては郷に従え
ということわざがある。
その地域においては、その文化に従いなさい
そんな意味だ。
人の話を聞く時に物を食べない
ことは、日本古来からの文化だと思う。
そこまでこの文化に僕が固執するわけではないのだが、
多様性の中で日本らしさを少しは保ってもいいんじゃないかと僕は思う。例えば、、食のマナーに関してくらいは…
”多様性を認めなさい”
”当たり前を疑いなさい”
この言葉の真意はどこにあるのか、この言葉を当たり前にしてしまう前に咀嚼して考え直すべきだと教授の話から勝手に僕は学んだ1日になった。
高い学費の引き換えにはちょうどいいのかもしれない。