あゆログ

ただ、書くだけ。

既読先行返信後攻型

あ、、既読スルーされた!!!

 

気になる人が、出来るってことは

素敵なんだろうけど、

 

その度に、相手の顔が見えねえSNSごときで

一喜一憂させられる自分の小ささと、

 

既読をして、だいぶだった後で返事を書いてくれるその人。

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もしや、めっちゃ返事考えてるんじゃねえかという期待感

 

終わったわ、どんまい自分

ゲームセットを待たず白旗を上げる自分。

 

その両者が複雑に絡み合う、宵の刻に送られる返事は、大抵中途半端に雑。

…なぜ返す?

その度に試される(気がする)男としての器量。

 

相手はきっと、デルピエロ

常に惑わしてくる。

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そんなことさえも、なんだか楽しい片思い。

 

こんな文面を書いているのに、別に恋なんてしてない俺もまたデルピエロ🤡

 

 

 

祝うなら

僕は、手紙が好きだ。

今もちょくちょく年賀状を紙で書くくらい、手紙が好きだ。

 

液晶画面越しなら、鼻くそをほじりながらでも大好きだ、愛してるなんて臭いセリフを言えるけど、紙に向かって書く時は少なくとも、文字を刻むことに神経を使って思いが乗り移る。

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僕が22歳になってから、およそ1週間経つのでそろそろいいだろうと思って書く。

 

おめでとう!

 

のメッセージ、これは嬉しい。

あ、覚えてくれてたんや。祝ってくれるんや。

それだけでルンルンする。

 

ただ、実は本音がある。 

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”もう一言ほしいな”

って。

おめでとうに、もう一言あれば、嬉しい。

 

ワガママな主張である。

それは分かっている。

 

ただ、年賀状でもそうなのだが、

あけましておめでとうだけのハガキだとなんだか寂しい。

 

必要なのは、定型文と少しの優しさ

…何もないよりはいいのだろうけど、どうせ送るのなら相手にとってより嬉しいものを送りたい。

祝い事

早いもので22歳を迎えた。

ここまで健康体で過ごせたことは、”奇跡”だし”感謝”の積み重ねでしか表現できない喜びに感じる。

 

たまに、なんで自分は生まれてしまったんだろうという自己嫌悪に陥ることがある。

僕は、無価値で誰のことさえも幸せにすることができないような虚無感。

 

しかし、僕はだんだん大人になっていく。

その中で、ある種の社会的責任感といえば聞こえはいいが、生きていく意味や価値というものを、昔よりは感覚として掴めている予感がする。

 

きっと、この1年も悩んだり凹んだり、飛び上がって嬉しがったり、怒ったりするのだろう。

うるさいと叱られ、邪魔だと罵られ、お前といると楽しいと言われるかもしれない。

 

何があるか分からない22歳を楽しもう。

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成長

「成長」ってなんですか?

 

就職活動中に、よく聞かれる質問だ。

僕は、これが誰でも簡単に答えられる質問な気がする。

 

潜在的な引き出しを増やす」

「できないことができるようになる」

「考え方の尺度に幅がもてる」

 

例えば上のどれか一つに、自分なりの体験談を盛り込めたら、それっぽい答えになる気がする。

成長したと認められることは難しいけれど、口にすることは簡単だ。

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切符で改札をくぐる際、子ども用だと「ピヨピヨ」と音がする。たしか、小6まで有効だったはずだ。

 

先日、地元の最寄り駅でNのロゴのリュックを背負った少年を見送りながら、中学校時代のことを思い出した。

 

今日から切符が大人料金…

そのことを誇りに思う反面、交通費が嵩むことへの不満。

 

子供に戻りたいなあって考えていた14歳を思い出す。

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だいたい10年が経った。

そんな切符一つで過去を羨み、今を疑うことはもうなくなった。

 

成長したのだろうか。精神的に、少しは成熟したのだろうか。今を受け止められるようになったのだろうか。

 

できなかったことができるようになる。

…僕は成長したのだろうか。

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できなかったことができるようになった今、僕はなぜだか劣化したような気がした。

 

純粋さを失ったというか…

上手に言い表せないけれど、

 

人は成長する。身体も心も。

ただ、その間に何か失う。

その失ったものを肥料に、人は成長するのではないか。

 

冒頭にある写真は、パスポートの更新にあたり撮影した今と5年前の僕。

できるようになったことも増えたけど忘れたこともあるはずだ。

 

成長

 

容易に言い表すのは難しいと感じた。

 

 

 

 

仮面

就職活動をしているお前はつまらない。

 

先日、飲み会で言われた言葉が久しぶりに胸をえぐった。

なかなか独特の言葉を吐く先生もいたものである。どうしたら”僕”は、おもしろいのか、そもそも貴方は満足なのか。

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僕の進む道くらい僕に決めさせてくれ

だなんて、青春群像的な青臭いセリフを吐いてみたいけど、やりたくて就職活動に励んでいるかと問えば必ずしもそうではないような気もする。

 

考えることにも飽きたし、今は現実を真剣に考えるべき時期に感じるのだが、焦燥感が占有するのみで、具体的になにをするでもなく僕は一人きりお気に入りの屋上で寝転がって、柄にもなく三島由紀夫を読んでいる。

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仮面

 

読みながら考えたことがある。

 

大学生のどれくらいが被っているのだろう。

猫をかぶる女子学生の表の顔も仮面だろうし、言葉巧みにワンナイトラブを繰り返すどこかの誰かが飲みの席で、下心をひた隠しながらお酒を飲み干させる顔も仮面だとしたら。

 

逆を返せば、僕たちが生きているこの世界は仮面を被らないと困る場面の多い世界なのかもしれない。

 

屋上で寝転んでいられるうちは、猫も仮面も化けの皮も被らなくても平和でいられる気がする。

知らないこと

 

 

「あゆ、共謀罪についてどう思う?」

 

僕は、食べていたラーメンをすする手を止めて考えた。沈思黙考というやつだ。

「よくわかんないんだよね、共謀罪についてww」

 

結局僕は、そう答えた。
これが本音だった。話題はそこで変わった。

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もし、僕が持論を展開できたなら、
話はもっと弾んだだろうし、楽しかったに違いない。

 

僕が何にも知らないせいで、相手にとっても自分にとっても学びの機会が失われたことになんとなく「ダサいな、僕」と後ろめたさを抱いた。

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知らないって罪だなって思った。
いや、知らないことに気がつかないことがダサいというか。

 

共謀罪だって、カタールの国交問題だってニュースで大きく取り上げられてた。

見ないフリをしていたのかもしれない。

 

ネットでも

www.huffingtonpost.jp

とか、情報は手に入るわけだから、
知りえないことなんてないはずなんだ。

知らないってダサい・・。
無限の興味と無限のアンテナ、無限の知識が欲しいなと思った。

情報は食べ物なんだってさ。

www.ted.com

 

アメ玉

6月が始まった。

教員資格を目指す友人は、就職活動もそこそこに教育実習に精を出している。

 

ましてや僕の周りの教員資格志望者は、教育学科在籍者ではない。

夢や目標のためとはいえ、人より多く授業をとって、人より課題をこなし、休みを削り、今も人より多くスーツを着て汗をかいているわけだがら、6月に入って惰性が顔をのぞかせている僕の頭は、自ずと下がる。

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とある 小学校のとあるクラスに中国人転校生が来たという。

 

先生は、異国の地からやって来た彼がクラスに馴染めるように最善の努力をした。

幸運にも、彼は人見知りをしなかったので友達も苦労せずに作ることができ、クラスに馴染めることができたそうだ。

 

だが、

彼はある日、授業中にアメ玉を食べながら先生の話を聞いていたらしい。

それを目撃した先生は、飴を食べながら人の話を聞く姿勢がけしからんということで、

叱り、アメ玉を回収したのだそうだ。 

 

それを境に、その中国人転校生は授業の妨害を繰り返すようになったらしい。

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 先生は、

授業中にアメ玉を食べたらいけないような国なんて、日本か韓国くらいだということを知った。

 

日本人の感覚で考えると、授業中に物を食べることなんて悪でしかない。

 

しかし、それを世界の定規で測ると必ずしも正当な指導とはいえないと気づく。

それを境に当たり前を疑うように先生はなりました。

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先日、大学の講義で先生はこの話を非常に満足げに話していた。

自分たちにとっての”当たり前”を疑ってほしいと学生に伝えたいという意図が感じられた。

 

だが、

それにしては題材が間違ってはいないだろうか。

 

私も、多様性を認め合う心は非常に大切だと思う。しかし、多様性を認める前に、地域ごとの文化を敬う気持ちも持つべきだと感じる。f:id:sakana714:20170606003851j:image

郷に入っては郷に従え

 

ということわざがある。

その地域においては、その文化に従いなさい

そんな意味だ。

 

人の話を聞く時に物を食べない

ことは、日本古来からの文化だと思う。

そこまでこの文化に僕が固執するわけではないのだが、

 

多様性の中で日本らしさを少しは保ってもいいんじゃないかと僕は思う。例えば、、食のマナーに関してくらいは…

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”多様性を認めなさい”

”当たり前を疑いなさい”

 

この言葉の真意はどこにあるのか、この言葉を当たり前にしてしまう前に咀嚼して考え直すべきだと教授の話から勝手に僕は学んだ1日になった。

 

高い学費の引き換えにはちょうどいいのかもしれない。