今が楽しければいいというわけじゃない
また先輩との飲み会の話を書いて行く。
久しぶりに顔を合わせた仲間の団欒において、各々の近況報告なんてものが、必然的に交わされることなんて、21歳の僕には織り込み済みなことだった。
それもみんなのジョッキを合わせるタイミングが微妙にずれて、カツンカツンと変なコーラスを奏でる乾杯のあとが相場だと僕は思っている。
そしてその日も、乾杯も早々に誰かが
「最近どう?」
と他が冷えたビールに唸る余韻を打ち消すように口を開いた。
「仕事はまあまあ順調。同期に関してはマジで何もなさすぎて言うことがない。飲み会とかもあんまりなくて」
社会人1年目な先輩がそう言った。
僕の番だ。
最近の近況…
そう考えると、僕の場合直近の楽しかった思い出、頭をふわふわさせるような思い出を話したくなるらしい。
ーー写真展行けたり昨日は友達の誕生会があったりで、充実してますね。めっちゃ楽しいです今。就活、GWは会社の都合で休みですし
みたいなことを僕は吹聴した気がする。
今を楽しめてる幸せなやつ、そんなイメージ形成が先輩方の間で成されるつもり、、だった。
お前、それは逃げてるよ
気がつくとそう言われていた。
--以前好きだった人に大学で偶然話しかけてもらってウキウキした
みたいな話をしたあとだった気がする。
まだ、みんな二杯目。酔いに身を任せて根拠もない毒を吐きかける時間でもない。
ただ、ただ、鋭い目で鋭い言葉が先輩からストレートで投げられただけだった。
飲み会から数日経った。
些細なことは忘れた。
そんな気持ちで他の人と恋愛するのは甘い。気持ちから逃げるな。楽をするな。
ただ、その子は彼氏がいるのだから、お前には無理だし、その外面では落とさないから弁えろ
言葉の真意はそんな感じだった気がする。
毒でしかない。辛い。
もっと辛いのは、間違いがないということだ。
今が楽しければいいじゃないですか
僕は繰り返しそう言った気がする。
間違っていないことを言われると僕は逃げ道を探す名人のようになるらしくポンポン軽い言葉が出てくる。
今が楽しければいい
そうじゃないんだなって思った。
人は絶対に無理して向き合わなければ行けないこともある。 それは、例えば、、自分の性格とか生き方とか、そんな感じの大きなものなんだろうなと悟った。
今を楽しむ先に何か、明るいものがあるのであればそれでいいのだろう。
ただ、僕のように不器用な、
後々ヘマをやらかす確率が高いような
今だけを考えると反動が人より大きくくるような
そんな人の身の振り方は、注意深くなるべきなのだろう。外面も内面もdisられて、僕の5月5日こどもの日は一周回ってエキサイティング、忘れられない思い出になった。